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2011年3月19日 (土)

被災者への呼びかけ

”強さ”とは何か、と考えた時、こういう人のことを言うのだ、とあらためて思う。

以下、被災者の1人でもある市職員の方が、

「負けないで」

と被災者に呼びかけた記事を抜粋しました。被災地ではこうやって被災者同士が励ましあって1日、1日がんばっているんだ、と思うと救援物資、そして1日も早く避難所から別のところに移れることを願って止みません。

ーー以下、産経新聞からの抜粋ーー

「大津波で妻と息子を失った市職員「負けないで」と被災者に呼びかけ

「苦しいけど 負けないで! 名取市職員 S」

東日本大震災で大津波が押し寄せた宮城県名取市の市役所玄関ガラスにこんなメッセージが書かれた紙が張り付けてある。書いたのは名取市職員、西城卓哉さん(30)。津波で最愛の妻、由里子さん(28)が行方不明になり、8カ月の長男、直人くんを失った。自分と同じくかけがえのない家族を失った人たちは多い。それでも精いっぱい生きてほしい-。そんな思いを込めたという。

3月11日。激しい揺れを感じた西城さんはすぐに、職場から由里子さんの携帯電話を鳴らした。一瞬つながったが声を聴けず、途切れた。すぐに市役所は地震で大混乱、職員としてさまざまな対応に追われ、気が付くと12日未明になっていた。ようやく自宅マンションへ戻ると、エレベーターは止まり、泥に足をとられた。部屋に入ると、2人の姿はなかった。近くの由美子さんの実家へ向かった。

毛布、食料、紙おむつ…。寒さと飢えをしのげるよう紙袋に目一杯詰め込んで、必死に歩いた。「あとは、2人を見つけるだけ」。しかし、周辺に原形をとどめる家はほどんどなく、がれきの山だ。ひょっとしたら、がれきの下敷きになっているかも知れない…。由美子さんの実家を目指しながら、一晩中捜した。しかし、実家も建物はなくなっていた。

翌日夜、由里子さんの母親とようやく出会えた。自衛隊のヘリコプターに救出されたのだという。憔悴しきった義母は「2人とも流された。どこにも姿がないの…」という。絶望的な気持ちになったが、わずかな望みを信じ捜索を続けた。

しかし、直人くんとみられる遺体が安置所にあると聞き、15日夜、身元を確認した。「肌着も服もよだれかけも、妻が好んで着せる組み合わせだった」。安置所で死亡届を出すと居合わせた同僚職員が泣き崩れた。

職場の後輩だった由里子さんと出会ったのは3年前。「誠実で信頼できる人」と一目で直感し、6月14日の由里子さんの誕生日にプロポーズした。昨年7月には直人くんが生まれた。幸せだった。デジタルカメラには、3人で迎えた最初のクリスマスの写真が保存してある。今年2月に撮影した1枚は3人で写った最後の写真。眺めていると、さまざまな思い出があふれてくる。

それでも西城さんはメッセージを書いて、市役所玄関ガラスに貼り付けた。

 『最愛の妻と生まれたばかりの一人息子を大津波で失いました。いつまでも二人にとって誇れる夫、父親であり続けられるよう精一杯生きます。被災されたみなさん。苦しいけど 負けないで!名取市職員 S』

地震発生からちょうど1週間の18日午後2時46分、西城さんの職場でも黙祷を告げるサイレンが鳴り響いた


ーー以上産経新聞よりーー

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